▼9年後の編集後記
「2−3面はバツコーン!と一枚画を載せて、2,000文字クラスの工藤壮人コラムで。負担が大きくないかって?いいよ、書きますよ」
柏レイソルが2013年のナビスコカップを制し、エルゴラッソの担当記者として、“優勝原稿”を書くにあたって、編集担当と電話でそんな打ち合わせをしたことを昨日のことのように覚えています。
ひとえに優勝原稿と言っても、巻頭コラム1本で済む話ではありません。「本文」「試合のポイント」「チームコラム」「出場選手&監督の採点・寸評(確か一人50文字クラス)」「コメント」…。試合翌日が校了日だったため、あまり時間的猶予はありません。しかも夜には日立台で優勝報告会も実施されたため、これも取材に出掛けるとなると、その分、作業時間は減ります。
それでも、2,500文字クラスのコラムを書くことに躊躇はありませんでした。編集部時代から、いつかは見開き2ページを1本の原稿で埋め尽くすページを作ってみたいと思ってきましたし、それだけに値する活躍を工藤壮人選手が果たしたことはあらためて言及するまでもありません。なんとなく、ナビスコ決勝で工藤選手が活躍する予感めいたこともあったため、事前にもっと深みのある原稿を作るための準備も進めてはいました。
優勝後のミックスゾーン。MVPであり、決勝点を奪った工藤選手には多くのメディアが殺到しました。ミックスゾーンは「なんだこれ?」ともはや笑うしかないほどの人だかり。ポジショニングも誤ったことで、人だかりの山の外郭で精一杯ICレコーダーを持った手を伸ばし、少しでもクリアに音を拾うのが限界。もちろん、一つの質問を投げかけることも不可能でした。
でも、クラブ広報の方の粋な計らいで優勝報告会後に単独で5分程度、個別取材をする時間を設けていただき、ホームチームのロッカールームで話を聞けました。その内容を踏まえた上で巻頭コラムを執筆し、真っ先にこの要素を編集部に入稿。最後4本目の原稿は、翌日のお昼頃、味の素スタジアムの記者室で入稿したことを覚えています。そのままもう一つの担当チームだった東京ヴェルディのカターレ富山戦を取材しましたが、“優勝ドーピング”って、ホントにあるんですね。ヘロヘロになりながらも、なんとかやり遂げました。
26日(水)に発行されたエルゴラッソの工藤壮人選手追悼号では、自分が書いた「エースの証明」の掲載面が載っています。もう取材対象者本人に伝えることはできませんが、自分の中では優勝原稿=工藤壮人巻頭コラムと言っていいほど、象徴的なコンテンツです。その際はご協力ありがとうございました。
追悼原稿の執筆者は、元柏担当の田中直希記者です。田中記者本人には「よろしく頼みます」と託していましたが、その内容は同業者として、完全に白旗です。
工藤壮人選手。この場を借りて、あらためて心よりご冥福をお祈りいたします。どうか安らかに…。
2022年10月26日 郡司聡